平成20年12月8日 真珠湾攻撃記念日を期して、リニューアルオープン

年表

北朝鮮関係年表  


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西暦年/月項目資料
1945昭和20/8日本ポツダム宣言受諾
1945昭和20/12モスクワ三国外相会談、朝鮮信託統治案協定
1946昭和21/2北朝鮮臨時人民委員会発足 (委員長金日成)
1946昭和21/3第一回米ソ共同委員会開催
1946昭和21/8北朝鮮労働党結成大会(委員長金日成)
1947昭和22/2北朝鮮人民委員会結成(委員長金日成)
1947昭和22/5第二回米ソ共同委員会開催(十月無期休会)
1947昭和22/11国連総会臨時朝鮮委員会設置決議
1948昭和23/9朝鮮民主主義人民共和国建国(首相金日成)
1949昭和24/6朝鮮労働党結成(委員長金日成)
1950昭和25/6朝鮮戦争勃発、 北鮮軍韓国侵攻。見る
1951昭和 26/9対日講和会議、サンフランシスコにて開催。9月8日調印
サンフランシスコ講和条約、9月8日調印、翌52(昭和27)年4月28日発効。見る
1952昭和27/韓国大統領李承晩が一方的に「隣接海洋に対する主権宣言」を行う見る
1953昭和28/7朝鮮休戦協定(板門店)調印
1955昭和30/5在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)結成
1956昭和31/12千里馬運動始まる
1957昭和32/9 日本国際貿易促進協会・日朝協会・日朝貿易会代表、朝鮮国際貿易測深委員会と貿易協定締結。
1958昭和33/9金日成首相、在日朝鮮人の帰国を歓迎すると演説
1959昭和34/1南日外相、在日朝鮮人の帰国実現を要求
1959昭和34/2日本政府、在日朝鮮人の北朝鮮帰還を正式決定 朝鮮労働党・日本共産党共同声明
1959昭和34/8在日朝鮮人帰還日朝赤十字協定調印(於カルカッタ)
1959昭和34/1216日午後、帰国船第一便清津(チョンジン)到着。在日 93,000 人帰国(日本人妻 1831 人を含む)
1960昭和35/4韓国に政変起こり、李承晩大統領辞任(のち亡命)
1960昭和35/8金日成、南北連邦制案を提案
1961昭和36/5韓国、軍事クーデター、 朴正熙が政権を取る。見る
1961昭和36/7韓国、国家再建最高会議議長に朴正煕就任、反共法公布 北朝鮮、中ソと友好協力・相互援助条約締結
1962昭和37/11日朝両国赤十字、在日朝鮮人帰還協定の無条件延長に関する合意書に調印
1963昭和38/5寺越昭二、外雄、武志さん石川県沖で漁に出たまま拉致される
1964昭和39/3日本共産党代表団(団長袴田里見)訪朝
1964昭和39/7日本赤十字社、在日朝鮮人帰還協定一年延長に合意
1965昭和40/12日韓基本条約および附属書協定調印。見る
1967昭和42/8第一回日朝赤十字会談(モスクワ 九月決裂)
1968昭和43/1ゲリラ部隊南派事件(いわゆる青瓦台事件) 米諜報艦「プエブロ」拿捕事件
1968昭和43/11韓国東岸山岳部にゲリラ多数出現
1968昭和43/12北朝鮮外務省、プエブロ号乗員釈放を発表
1969昭和44/4北、米偵察機EC121を撃墜
1970昭和45/3日航機「よど号」ハイジャック事件
1970昭和45/4中朝共同声明(周恩来・金日成)
1970昭和45/11労働党第五回大会、六ヵ年計画採択
1971昭和46/5在日朝鮮人帰還再開
1971昭和46/8韓国赤十字社、離散家族探しのための赤十字会談提唱(九月、第一次予備会談)
1972昭和47/7南北首脳会談 南北平和統一の共同声明発出 八月 南北赤十字本会談開始
1973昭和48/6韓国、国連南北同時加盟提案 北、単一国号統一加盟提案で対抗  八月 金大中事件によって対話途絶
1976昭和51/8板門店で「ポプラ事件」起こる見る
1976昭和51/10デンマーク政府、北朝鮮大使館員全員を麻薬等の密輸・密売で国外追放
1977昭和52/1115日夕方、新潟でめぐみさん行方不明となる。
1978昭和53/6田口八重子さん(拉致場所不明)拉致
昭和53/7新潟県柏崎市 蓮池薫さん、奥土祐木子さん拉致
福井県小浜市 地村保志さん、浜本富貴恵さん拉致
昭和53/8新潟県佐渡島 曽我ミヨシさん、曽我ひとみさん拉致
鹿児島県吹上町 市川修一さん、増元るみ子さん拉致
1980昭和55/10金日成主席、労働党大会で「高麗連邦共和国構想」と統一実現方針を発表。金正日党政治局員に選出さる。
1983昭和58/10ラングーン爆弾テロ事件、韓国閣僚四名ら爆死
1983昭和58/11第十八富士山丸拿捕される
1987昭和62/9土井たか子社会党委員長、訪朝
1987昭和62/11大韓航空機爆破事件
1987昭和62/12第十八富士山丸」乗組員に労働改造十五年の判決
1987昭和62/12金賢姫逮捕
1989平成1/3当時の竹下首相が国会答弁で北朝鮮の正式国名を使う。「朝鮮民主主義人民共和国」
1990平成2/9南北首相会談(ソウル)韓ソ国交樹立
金丸田辺訪朝団、『戦後 50 年の償い・・・』という三党共同宣言
1991平成3/1日朝正常化のための政府間本会談(平壌)
1992平成4/11「李恩恵」問題をめぐり北朝鮮側が協議拒否、日朝正常化会談決裂
1993平成 5/5北朝鮮、能登沖へノドンの発射
1994平成6/4拉致に関する情報を持った北朝鮮工作員、韓国に亡命
1994平成6/7金日成死去
1995平成 7/3渡辺美智雄を団長とする連立与党三党(自民、社会、さきがけ)訪朝。北朝鮮、『わが国は、日本まで届く武器を持っている』と語る。日朝会談再開のための四党合意書採択。
平成 7/5北朝鮮、日本にコメ支援要請
平成 7/6北へのコメ支援をめぐる日朝協議決着 有償十五万邸μ欺十五万邸合計三十万鼎離灰甼〕拭柄躋杙予夙億円)が確定
平成7/6韓国情報機関員、石高健次氏にめぐみさんの情報(当時はめぐみさんとは分からず)を伝える。
平成7/9日本政府、北朝鮮水害に五十万砲龍杁浣臀を決定
平成7/10北へのコメ支援追加二十万鼎嚢膂奸50 万トンの米を北朝鮮に送る。
1996平成8/3偽米忙翳昌藩僂妊織し抻,紡疂瓩気譴臣砲、「よど号」事件の犯人田中義三(元赤軍派)であると供述
1996平成8/4米韓首脳、北朝鮮に四カ国会談を提案
1996平成8/6日本、北朝鮮支援へ六百万砲了餠盖鮟亰萃
1996平成8/8北朝鮮外務省、水害に対し国際社会の人道支援が必要と指摘
1996平成8/9韓国江陵で座礁した北朝鮮潜水艦を発見 乗員一名逮捕、十一名集団自殺
1996平成8/10石高氏、現代コリアに「中学生の拉致」載せる。
平成8/12北朝鮮外務省、潜水艦事件で非難声明発表
1996平成8/12佐藤勝巳氏、新潟で講演。「中学生の拉致」を語る。見る
1997平成9/2北朝鮮、新潟の少女(横田めぐみさん)拉致を否定
黄長朝鮮労働党書記、北京で韓国に亡命を申請  北は南による「拉致」と主張
西村眞吾議員、国会でめぐみさん失踪事件を取り上げる
平成9/4明石国連事務次長、北朝鮮の食糧危機に対し、総額一億二千六百万砲凌容算抉腓魘杁泪▲圈璽襦(胴顱穀物五万鼎龍〕燭鯣表
北朝鮮外務省、日本人少女(横田めぐみさん)拉致を全面否定
平成9/7米政府、北朝鮮に穀物十万トンの食糧支援を供与すると発表
平成9/8北京で局長級会談が開かれる。 米 7 万 5000 トンの無償支援
平成9/9北、日本海で行方不明となり、その後北で生存が確認された寺越武志さんの声明文を伝え、拉致疑惑を否定
平成9/10十月 金正日、朝鮮労働党総書記に就任
日本政府、食糧支援を決定(二千七百万法
平成9/11日本人妻里帰り第一陣、成田に到着
森喜朗自民党総務会長ら連立与党三党代表団が訪朝
自民、社民、さきがけの与党訪朝団、「拉致疑惑」を「行方不明者の調査」と言い換え、北朝鮮との交渉を進める。
「北朝鮮による拉致被害者家族会」が結成 される。
平成9/12朝鮮半島和平のための四者会談(ジュネーヴ 南北、米中)
1998平成10/2北朝鮮外務省、日朝外務省非公式協議で日本側が「行方不明者」を提起したと非難
1998平成10/3中山正暉元総務庁長官を団長とする自民党議員団、訪朝  北での生存が確認された寺越武志さんの母親も同行
1998平成10/6北朝鮮赤十字中央委員会、日本人行方不明者はいないとする調査結果を発表
1998平成10/8北朝鮮、弾道ミサイル(テポドン)を発射、弾頭部分が日本を越え三陸東方沖の太平洋上に着弾
1998平成10/9北朝鮮、「人工衛星」打ち上げを発表、 日本を非難
1998平成10/10防衛庁、八月末のミサイル発射は「弾道ミサイル発射であった可能性が高い」とする結論
1999平成11/1北「ミサイル発射は自主的権利」と日本に警告
1999平成11/3中山正暉自民党議員一行訪朝
新潟県沖日本領海内で国籍不明の不審船二隻発見、小渕首相、海上自衛隊による初の海上警備行動を承認 不審船に対し警告射撃するも、逃走(北朝鮮の港湾入港を確認)
1999平成11/8北、政府声明「日本が過去の清算を通じた善隣の樹立の方向へ進むなら、それに喜んで応じる」
1999平成11/12野中村山訪朝団、村山富市元首相を団長とする超党派国会議員団訪朝 国交正常化会談再開で一致し、朝鮮労働党との共同発表に署名・調印 日本政府、対北制裁措置(国交正常化交渉と食糧支援の凍結)解除を発表。米10万トン無償支援を約束。
日朝赤十字会談(北京)「行方不明者に対する突っ込んだ調査を行なうため当該機関に依頼」
2000平成12/2日朝友好議員連盟発足(村山富市ら十五名が発起人)
平成12/3自民党外交関係部会、北に対し十万鼎離灰畛抉腓鮃圓覆旨、正式表明
日朝赤十字会談(北京)、日本人拉致疑惑について北は「社会安全省」などが朝鮮赤十字地方支部と協力して調査を開始したと表明 拉致被害者が発見されたら「適切な措置」を取ると日本側に明言
外務省前、自民党本部前にて無償支援反対の座り込み。見る
平成12/7日朝国交促進国民協会(会長村山富市)発足
平成12/9北、台風と豪雨の被害発表
平成12/10日本政府、コメ五十万田媛短抉腓鯣表
当時の河野洋平外相の「自らが責任を負う」その後どのように責任を負ったかどうかは不明。
オルブライト米国務長官訪朝
2001平成13/5金正日の長男 、 金正男と みられる(笑) 男性ら男性四名、を成田空港で一時拘束。田中真紀子外相(当時)が、VIP待遇でお送り申し上げる。
2001平成13/12北朝鮮赤十字、日本の要請した「行方不明者」消息調査事業を全面中止する旨の報道文を発表
鹿児島県奄美大島沖で、海上保安庁巡視船と北不審船の銃撃戦、不審船は沈没
2002平成14/3欧州留学中の一九八三年に失踪した元神戸外大生有本恵子さん(当時二十三歳)について警視庁は「北朝鮮に拉致された疑いがある」と発表
平成14/5中国・瀋陽日本総領事館への亡命事件、脱北者五名は中国武装警察に拘束・連行
平成14/7「よど号」関係者四名の日本帰国意思表明について、北当局は「共和国政府に何の関係もない」とする談話を発表
平成14/8小泉首相、九月十七日に北朝鮮を訪問すると発表
平成14/9奄美大島沖の不審船引き揚げ
第一回小泉首相訪朝、金正日が拉致は北朝鮮特殊機関の犯行であることを認め謝罪 日朝平壌宣言見る
北、横田めぐみさんら八名死亡、地村保志さんら五名生存と発表
朝鮮中央通信、拉致問題に関する日本国内の動きを「感情的に極大化」と非難
拉致問題の真相解明を目的とする日本政府調査団(斎木昭隆アジア大洋州局参事官)ら訪朝
2002平成14/10拉致被害者5名帰国見る
北、拉致被害者の滞在延長を「約束違反」と非難
日本政府、引き揚げ不審船を北朝鮮工作船と断定
2002平成14/11北、拉致被害者を北に戻さなければ安保協議の無期限延期を含む「重大な結果が生じる」と警告
田中均アジア大洋州局長、日朝国交正常化交渉打開のため中国で非公式協議開始
2002平成14/12北朝鮮の貨物船「チルソン号」がエンジントラブルを起こし、日立港東防波堤外側消波ブロックに衝突、座礁、燃料油流出
2003平成15/5日本政府、「万景峰」号への立ち入り検査実施など、ミサイル部品不正輸出に対する取り締まり強化を確認
日米首脳会談で両首脳は「北朝鮮が事態を更に悪化させた場合は経済制裁含む強硬措置をとる」ことなどで合意 ブッシュ大統領、日本人拉致事件を強く非難
2004平成16/5第二回小泉首相訪朝。蓮池さん夫妻、地村さん夫妻の子供、5人が帰国
2004平成16/7曽我ひとみさんが家族とジャカルタで面会  10日後一家揃って日本へ帰国
2004平成16/12めぐみさんのニセ遺骨問題の発覚
2005平成17/1014日 エムジー製薬・西新井病院警視庁公安課の手入れ
2006平成18/4めぐみさんの結婚相手は、韓国から拉致された金ヨンナム氏であることが判明
2006平成18/4横田早紀江さんら家族会代表、ブッシュ大統領に面会。
2006平成18/5横田滋さん、訪韓。金ヨンナム氏の母親と面会。
2006平成18/75日北朝鮮 ミサイル7発を発射。
同日、経済制裁発動。それを受けて新潟県知事、当日入港予定の万景峰号埠頭使用許可を取り消す。港入り口に待機していた万景峰号は入港できず、沖合いに投錨。午後から修学旅行から帰った朝鮮学校生徒200名だけを降ろす為、2時間ほど接岸。
6日民団・総連 袂を分かつ。
一方、北朝鮮 では、金ヨンナムの記者会見が行われた。
平成18/9政府は19日午前、北朝鮮に対する金融制裁の実施を閣議了解した。同国の大量破壊兵器開発に関係していると疑われる15団体・1個人を対象に、金融口座からの預金引き出しや海外送金を許可制とし、事実上禁止する。即日発動する。見る
平成18/109日 北朝鮮、核実験に成功と発表。
日本でも、地震波を観測。

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「朝鮮戦争」  

1950(昭和25)年6月 北鮮軍韓国侵攻 国連安全保障理事会、北鮮制裁を可決 ソウル陥落
7月 北鮮軍、釜山橋頭堡に迫る
7月 マッカーサー、国連軍最高司令官に任命
9月 国連軍、仁川上陸作戦 ソウル奪回
10月 国連総会、国連軍の38度戦突破を承認  中共義勇軍、鴨緑江渡河し戦線介入
11月 中共義勇軍、鴨緑江渡河、参戦
1951(昭和26)年1月 中共・北鮮軍、ソウル再占領、国連軍ソウル放棄
2月 国連総会、中共を侵略者と非難決議
3月 国連軍ソウル再奪還
4月 マッカーサー解任、後任リッジウェイ第8軍司令官 マリク国連ソ連代表、停戦提案
7月 開城で休戦会談開く
9月 対日講和会議(於サンフランシスコ)
10月 板門店で休戦会談再開
1952(昭和27)年5月 巨済島で北鮮軍捕虜暴動事件
6月 国連軍、水豊ダム爆撃
12月 アイゼンハワー次期大統領、韓国訪問
1953(昭和28)年3月 スターリン・ソ連首相死去
7月 休戦協定調印

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サンフランシスコ講和条約  

正式名称「日本国との平和条約」。  

 -1951(昭和26)年9月8日調印、1952(昭和27)年4月28日発効。

 全6章27条から成る。
 この条約によって、連合国は日本との戦争状態を終結させ、日本領土と領水における日本の主権を完全に承認した。条約の発効した昭和27年4月28日が、正しい意味における大東亜戦争終結の日である。
 なお、このサンフランシスコ講和条約によって朝鮮半島は日本国の領域から分離された。日本国内に居住する朝鮮人は、条約発効の時点で日本国籍を喪失、名実共に外国人となる。その際、日本政府が「在留資格を有することなく」朝鮮人が日本に居住することを認めたこと(すなわち、日本で何を行なおうと自由)が、今日の在日韓国・朝鮮人問題の原点であると言える。(いわゆる特例永住制度。)
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李承晩ライン(李ライン)  

いわゆるこの李承晩ラインによって、日本固有の領土である「竹島」が韓国によって実効支配される発端となる。 このため日本漁船の操業が妨害され、多くの日本の漁船が拿捕された。

1952年、韓国の李承晩大統領が行なった、一方的宣言によって規定された領海水域。
この李承晩ラインによって、日本固有の領土である「竹島」が韓国によって実効支配される発端となる。
同宣言により韓国は、朝鮮半島周辺(最大二百マイル)の水域内に存在する、すべての天然資源、水産物を利用する権利を主張した。日本側はこのラインを認めず、結局65年の日韓漁業協定で李承晩ラインが廃止されるまで、韓国軍による日本漁船の拿捕が続いた。

李承晩ライン廃止までの抑留者数・拿捕された船の数および死傷者数
抑留者数:3929人
拿捕された船の数:328隻
死傷者数:44人

死者の中には、娘が生まれたばかりの若い漁師も居た。赤ん坊は、生後数ヶ月で父を殺された。
抑留された被害者は、日韓漁業協定が成立する1965年まで抑留され、韓国に人質として利用された。
その年月、最大13年。

日本政府は、彼らを帰してもらうために、在日朝鮮人の犯罪者を仮釈放して、在留特別許可を与えた。
その犯罪在日朝鮮人の数、472人。韓国は国際法上認められていない、自称”平和線”によって拿捕された漁民を人質として利用し、日韓条約と日韓漁業協定を韓国に圧倒的有利な内容で締結させた。
北朝鮮の拉致と同じことを、韓国は日韓の国交回復のときにやっていたのだ。
国交回復に犯罪者釈放って、これが許されるのだろうか?

北朝鮮の日本人拉致も、日朝国交回復を有利に進めるためのカードであり、同じような成り行きになって
しまいそうで心配だ。
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軍事クーデター  

1961年に軍事クーデターを起こした朴正熙が政権を取り、自国の産業を発展させた。

まずはアメリカの ベトナム侵攻 に荷担して8年間で 10億$を稼ぎ 、さらに日本と「 日韓基本条約 」を結んで10年間に分けて 8億$ ( 無償で 3 億ドル(約 1080 億円)、有償で 2 億ドル(約 720 億円)、民間借款で 3 億ドル ) を入手した。

現在価格では合計4兆5千億円相当の金である。当時の南朝鮮の国家予算が3億5千万$程度だったことから比較すると、これがどれだけ莫大な額だったのかが理解できるだろう。

この資金によって南朝鮮は急速に発展した。また無形ながらも日本からの技術支援も膨大だ。

だが 国民には「資金や技術」の入手先をはっきりさせず に 「全て我が民族の努力の賜物だ」 とウリナラマンセーに浸った。

これを『漢江の奇跡』と南朝鮮では呼んでいる。
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「日韓基本条約および附属諸協定」  

ヾ攅颪箸隆靄楷愀絃鯡鵝米韓基本条約)
外交領事関係の開設、1910(明治43)年8月以前の旧条約はもはや無効であることの確認、韓国政府が朝鮮半島における唯一の合法政府であることの確認など。

日韓漁業協定
(略)

4攅颪箸寮禅畍◆Ψ从儷力協定
 財産・請求権問題の最終的解決と、日本による対韓経済協力の供与。在韓日本資産および韓国側の対日請求権問題が最終的に解決すること、および日本による3億ドル無償供与(10年間)と2億ドルの長期低利借款(年利率3.5%、7年据置)、3億ドルを越える民間信用供与を約束。なお、「李承晩ライン」侵犯の理由で拿捕された日本漁船に対する日本の請求権は、認められず。

ず瀑韓国人の法的地位(いわゆる地位協定)
対象となる在日韓国人は、終戦前に日本国籍で来日し引き続き居住している韓国国民およびその直系卑属で、協定発効(1966〔昭和41〕年)後5年以内に日本で生まれたものまで。その直系卑属の居住については、協定発効25年(1991〔平成3〕年)後までは政府間協議をなし得る。協定永住者の強制退去は、一般外国人とは別に悪質なものに限定する。教育・生活保護・国民健康保険などに関する恩恵などの考慮。

ゴ攅颪箸諒顕什癲κ顕酋定
(略)
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「ポプラ事件」  

 1976(昭和51)年8月18日、板門店共同警備区域(JSA)西端に位置する「帰らざる橋」横にあったポプラの木を、国連軍が哨所からの視界の妨げになるという理由で伐採していたところ、北鮮軍が「事前了解がない」として伐採を中止するよう要求、米韓軍と口論に発展。
北鮮軍将校が突然「殺せ」と命令し、トラックで応援に駆けつけた兵士らとあわせ約30名の北鮮軍将兵が斧とツルハシで米韓軍将兵に襲いかかった。この乱闘でアーサー・ボニファス大尉ら米将校2名が殺害され、米韓軍将兵数名が重軽傷を負った。

 米国政府は北鮮軍の蛮行を厳しく非難し、事件を米国の計画的挑発とする北鮮の発表を「真っ赤なウソ」であるとする強硬な声明を発表、空母「ミッドウェー」を日本海に出動させ、太平洋海域にあった空母「エンタープライズ」も朝鮮海域へと向かう。

 事件から3日後、金日成が事件に「遺憾の意」を表明することによって事実上収拾、軍事衝突の危機は回避された。
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石高健次著 『金正日の拉致指令』より抜粋  

講演のあと、同じ会館で懇親会が開かれた。この席で、佐藤は「うちの雑誌にこんな記事が載っている」と周囲の人に私が書いた記事の概要を話した。その瞬間だった。
「それはめぐみちゃんのことだ! 」
「めぐみちゃんは生きていたのか!」
と声が上がったのである。
十三歳、クラブ活動でバトミントンをして帰宅途中の部分がぴったり一致していた。新潟では今も、「横田めぐみ行方不明」は忘れられていなかったのだ。
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外務省前・自民党本部前にて、北朝鮮へのコメ支援反対座り込み報告書  

平成12年3月6・7日

『北朝鮮に拉致された日本人を救う会』から座り込み決行のファックスが入ったのは、 3 月 3 日 21 時 30 分ごろのことであった。
昨年末から『救う会』『現代コリヤ』など、拉致問題、北朝鮮問題に関心を抱いていた同志の間では、『拉致問題解決なしのコメ支援には、座り込みを以って反対の意思表示をする』という合意があった。いよいよ決行である。

平成 2 年の金丸田辺訪朝団の『戦後 50 年の償い・・・』という三党合意は、さすがの政府も『政府間の条約とは違う』との声明を出さざるを得なかった。その声明に対する北朝鮮の回答は、平成 5 年 5 月の、能登沖へのノドンの発射であった。
それに懲りない政府は平成 7 年 3 月、またもや与党訪朝団を送ったのである。そこで渡辺美智雄団長が聞いた言葉は『わが国は、日本まで届く武器を持っている』という北朝鮮の恫喝だった。
腰を抜かした日本政府は同年 10 月に 50 万トンの米を北朝鮮に送ったのである。

一応『国交交渉再開のため、拉致された日本人を救出するため・・』との大義名分がついてはいたが、実際に北京で局長級会談が開かれたのは、 2 年も経た平成 9 年 8 月になってからであった。それも『拉致を議題にするなら会談を決裂させる』と言う北朝鮮に譲歩し『行方不明者の捜索』という表現になった。
その後、『探したけれど、そんな人はいませんでした』という北朝鮮の一言で、日本政府はおずおずと引き下がってきたことは記憶に新しい。おまけに、この北朝鮮会談のときも、米 7 万 5000 トンの無償支援という『おまけ』がついていたのである。

これら一連の『日本政府の外交努力』に対する北朝鮮の答えは、平成 10 年 8 月のテポドン発射、平成 11 年3月の工作船二隻の領海侵犯、そして繰り返される覚せい剤の密輸だった。

それでも日本国民は耐え忍んだ。『政府も人の子だ。きっといつかはちゃんとした交渉をしてくれるだろう。政府要人、与党国会議員も日本人であることを信じよう』という気持ちがどこかにあったからである。

しかし、平成 11 年の野中村山訪朝団は、もう許せない。どんな裏話をしてきたのか。どんな弱みを握られているのか。彼らは本当に日本人なのか。日本の国益を担って外交努力をしているのか。
裏の世界はよくわからないが、よく分からないまま北朝鮮を交渉の椅子に座らせるためだけに十万トンの米が無償支援されようとしている。その席では、拉致問題は議題としては出されないという。そんな馬鹿なことがあるものか。
『あなたの国の国民を拉致して申し訳ありませんでした。全員返しますから米をください』と言うのなら、やらないわけではない。
『交渉の椅子に座ってほしければ米をよこせ。ただし、その席では拉致問題を持ち出してはならない』と言う北朝鮮の言い草に『ははっ、お言いつけには背きませんのでどうぞ席にお着きください』と平身低頭しているのが日本の外務省の姿だ。

二次、三次の米支援も予定されている今、『とにかく、第一次の米支援をとめなければ、金ジョンウィル政権の延命に加担するだけだ』として行われたのが、今回の座り込みであった。

3 月 6 日朝 6 時 51 分の新幹線で東京に向かった。
東京駅で、ホットドッグとコーヒーの朝食をとってタクシーで外務省へ・・・。

すでに 30 人から 40 人と思われる人が集まっている。中には小島さん、馬場さんなど、新潟からの人の顔も見える。横田めぐみさんのご両親など、被害者のご家族の方も多く見える。
歩道には参加者があふれ、歩行者の通路を確保しようとする警察官とちょっともめるが、大したこともなく横断幕、プラカードなどをセット。
実行委員の荒木氏からの注意事項の後、座り込みに入る。この頃には、参加者は、 80 人ぐらいに膨れ上がっていた。

外務省のゲート内はもちろん立ち入り禁止だが、車用のゲートは歩道から 7 メートルほど引っ込んでおり、幅 20 メートルほどの空間になっている。その三分の二ほどが座り込みスペースだ。残った三分の一を使って出入りする車には、外交官ナンバーも多く見られる。世界各国の大使や事務官などだろう。
次々にマイクを握って、政府外務省批判の声がビルにこだまする。

雄弁家が多い。私はまだ、顔と名前の一致しない人が多いが、言っていることは外務省の無策に対する怒りだ。政府、官僚の誰一人として、この正論に答えられないだろう。それが悲しい。
日本をリードする人たちが集まっているのだから、たかが看板屋(私のことだ)のごとき下賤の者の正論など、木っ端微塵に叩き潰してほしい。途中、西村眞悟代議士や、桜井よし子氏、地方議員の会の都議らが、次々と顔を見せる。

世論の会の三輪和雄氏は、いつも元気だ。彼が来ると全体が急に活気付く。スピーカーでひとしきり演説すると、早速ビラを配り始める。私も負けてはいられない。ビラをつかんで通行人に渡す。新潟の古町では二、三割の通行人しかビラを受け取ってくれないが、ここでは八割が受け取る。場所の違いか、タイムリーな行動だからだろうか、とにかく、関心の高さがうかがい知れる。

一人のおばあちゃんがビラ配りをしている。たぶん、東京救う会のメンバーだろうが、名前は聞き忘れた。 70 歳過ぎだろうか、小柄な白髪のおばあちゃんだ。ニコニコと穏やかな笑顔でビラを配り続ける。
「すみません。ビラがなくなっちゃったんですよ。少し分けてもらえますか」話しかけると「はい、どうぞ」穏やかな返事が返ってくる。本当の愛国者って、きっとこんな人なんだと思う。このおばあちゃんに比べれば、大言壮語して天下国家を論じている人なんて、小さく見える。空っ風の拭きすさぶ中、風邪でも引かねばいいが・・。

本当に寒い。動いているうちはまだしも、じっと横断幕を持って座っていると、体ががくがく震えてくる。家族会の人たち(被害者の家族)はみんな 60 歳代だ。ずいぶん応えるだろう。用意していったホッカイロをすすめたが、何人かはすでに懐に持っていた。
本来なら、孫を抱いてコタツにあたっていられるはずだ。何の因果でこの寒空に、この人たちを座り込ませなければならないのか。金ジョンウィルの暴虐と日本政府のだらしなさに怒りがつのる。

午後二時三十分から救う会、家族会、地方議員の会の代表と、河野外務大臣が会うと言う。「期待なんかできるか」と思う反面、何とか期待したい気持ちが入り混じる。代表六名は、拍手に送られて建物の中にはいっていった。

結果は・・・。河野は、自分の言いたいことを喋り捲って、結局被害者の思いを聞くことはなかったそうだ。最後に被害者家族が「私は納得できません」「そうですか。一人納得できない人がいたと伝えます」と河野。別な被害者家族が「私もです」「そうですか。では二人ですね」
馬鹿か、河野は。要するに『被害者家族に会った』と言う事実を『被害者家族に会って説明し、納得してもらった』と、拡大解釈をするための『アリバイ工作』に過ぎなかったのだ。
座り込みに先立って、次官がご家族の家を訪問したそうだが、これも今日を見越しての『アリバイ工作』の一環だったのだろう。

かつて河野外相に救う会、家族会のメンバーが米支援反対の陳情をした。そのとき河野外相は「座り込みだけはやめてくれ」と、何度も言ったそうだ。
これもうがった見方をすれば「ぜひやってくれ」との、別な表現だったのではないか。座り込みをやることも一連の流れに組み込んであり、やってもらわないとスケジュールが狂うからだったのではないだろうか。
我々にとっては戦術である座り込みも、彼らにとっては戦略の一部に過ぎなかったのかもしれない。
もちろん、それでもやらないでは済まされない。

外務大臣との会見のあと、約半分は記者会見のために友愛会館に移動、残った我々で座り込みを続けた。記者会見班は五時過ぎに現地での座り込みに戻ったが、あまりの寒さと、疲労もつのったであろうということでご家族と高齢者は六時に解散。若い人(もちろん私も・・)は、七時まで座り込みを続け解散した。
私は新潟の丸山氏、藤沢の西村氏、千葉の入野氏など七、八人で軽くいっぱい、同志としての友好を深めたのであった。

翌七日は自民党本部前だ。七時三十分から座り込むとのことで、二十分に着いたらもうほとんど集まっている。みんなやる気十分だ。

今日九時から外務委員会が開かれるそうで、それまでに言いたいことを言ってしまいたい。本部の建物に向かってスピーカーが叫び続ける。今日は昨日より元気に( ? )やってよいとの、実行委員会からのお墨付き遠慮会釈がない。とはいっても、みんな論理的な意見を陳述している。元青年自由党の木村岳雄などは若いが、冷静な理論展開がさわやかだ。

途中、吉田六左ヱ門が門から出てきてご家族の前に歩み寄った。私は門の反対側にいてよく見えなかったが、ご家族に何か話しかけたようだ。そのうち座り込みグループから詰め寄られ、ちょっと口論になった。まずいなぁと思って駆け寄ろうとしたときに、六左ヱ門は憮然とした表情で門の中に戻っていった。六さんは心から拉致問題を解決しようと思っている人なのにかわいそうなことをした。
座り込みに集まっている人たちも多少は気が立っているし、六さんだって結局はコメ支援をもくろんでいる自民党の一部なのだから、まあ、しょうがないか。でも、よくお願いして反対票の一票は入れてほしかったなあ。

そのうち田中真紀子もやってきた。
彼女はそつがない。いきなりご家族の前へ行き、話を聞く。聞いている間は支援者も口が出せない。涙を浮かべて「がんばりましょう」とか何か言ったのだろう。支援団体の諸君もころりと参ってしまった。

【後日追記】
真紀子が言ったのは「がんばりましょう」ではなかった。「十万トンなんていわないで、私だったら百万トン支援するわ」
支援者もご家族も、「何を言ってるんだろ、この人」と、ぽかんとしてしまったと言うのが事実。

真紀子は翌年、小泉首相誕生と同時に外務大臣となるが、その任期中にも、中国での「総理には靖国参拝はさせません」発言、偽旅券で入国しようとした金正男を VIP 待遇で送り返す、アメリカの貿易センタービルでのテロに伴うペンタゴン避難先をマスコミの前でぺらぺらしゃべる等、政治家として、いや、人間としておかしいのではないかと思わせる発言が続いた。
【追記終わり】

マイクの声は会議室にも届いているとの、内部情報がもれてきた。続いて、コメ支援は可決されたとの情報もはいってきた。
みんながっくり来る中、自由党へ行っていた分遣隊から「自由党では賛成 2 、反対 15 で否決」との情報が入り、少しは気が楽になる。これで与党会談では自民公明が賛成、自由党が反対の二対一でコメ支援決定。満場一致でなかっただけ、マシというべきか。
昨日と違って陽光うららか、それほど寒くはない。昼はお茶とおにぎりが配られた。

午後一番( 13:10 頃か)、農林水産省のマークをつけた公用車が続々と入ってきた。数えもしなかったが 20 台以上であったことは間違いない。たぶん米を送る相談だろう。あまりの手際よさにあきれ返った。あきれてばかりはいられない。プラカードを車の窓に突きつけ、「コメ支援はしないでください ! 」と叫ぶ。

そのうち「売国奴 ! 」「恥を知れ」「国賊」などの言葉も飛び出す。
「いまどき、売国奴なんていっても、あいつら、意味が分かるかなぁ」と、隣にいた仙台の渡辺氏に笑いかける。
「さあ、どうかな。あっはっはっは」

車が入り終わっても、一度ついた勢いはとまらない。自民党の建物に向かって「国賊河野ぉっ !出てこぉい」「売国奴野中あぁっ、出てこぉーい」「非国民 ! 」「拉致被害者のご家族の気持ちになってみろおぉー」「テメーラ、人間じゃねぇー」悪口雑言の限りだ。
言葉はちょっとひどいが、確かに野中に首根っこを押さえつけられた自民党議員は、北朝鮮の傀儡としか思えない。北朝鮮の国益のために働いているとしか思えない。本当に、拉致された人たちを救出しようとしているとは思えない。拉致された同胞を切り捨てて、自分の利益欲を満たそうとしているとしか思えない。

本当は我々は、そうではないと思いたい。信じたい。
こんな罵詈雑言に対して自民党議員は怒ってほしい。一人でもいいから出てきて「売国奴とは何事か。我々は心から国民の生命財産を守ろうと努力している。なぜならば米を支援することによって・・・」と説明してほしい。そして、「このような努力をしている我々に対し、売国奴とは何事か。許さん」と殴りつけてほしい。私はうれし涙でその鉄拳を受けるだろう。
しかし、誰も出てこなかった。裏口から逃げるように出て行くか、高級車にふんぞり返りながら、顔を背けて通過するか、そんな議員しかいなかった。

三時に解散となった。私は一人で靖国神社に参拝し、英霊にわびた。
この宮に鎮まる神々は、自分たちが命をかけて守った国がこんな情けない姿になってしまうとは、思いもかけなかったろう。
涙がこぼれた。

靖国の 宮にかしこみ日の本の 現状わびる 座り込みの日
父たちの 護り来し国 今われは 大人らに代わり 護らんと誓う
鬼が島の 鬼にやあらむ 北鮮は 人も宝も さらい行くとは
北鮮に 連れ去られたる乙女子の 帰らぬに米を 支援するとは
日本の 政府は憎し 北鮮の 傀儡として恥ずることなし

万景峰号の入港を阻止する会
会長 本里福治

平成十二年三月十一日 これを記す
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サンケイニュース   

平壌宣言原案 国交前に経済協力 14年、土壇場で秘密交渉修正  

 平成十四年九月十七日の小泉純一郎首相と金正日総書記との日朝首脳会談で、両首脳が署名した日朝平壌宣言の原案が三十一日、明らかになった。
原案は、国交正常化前でも日本から北朝鮮への経済協力を可能とする表現で、北朝鮮にとって極めて有利な内容だった。土壇場で、福田康夫官房長官(当時)の指示で竹内行夫外務事務次官らが動き、国交正常化前の経済協力を不可能にする内容に修正されたが、秘密交渉の危うさが改めて浮き彫りとなった。

 同宣言をめぐる交渉は、田中均アジア大洋州局長(同)と平松賢司北東アジア課長(同)が、 “ ミスターX ” と呼ばれた金総書記直属の北朝鮮側担当者と数人だけで極秘に進めていた。
 原案では、本来は関係のない過去の植民地支配と経済協力の関係について、日本の北朝鮮に対する「植民地支配の反省とおわび」の気持ちから経済協力を実施すると表現。
 また、経済協力の実施を国交正常化後に限定しておらず、正常化前の経済協力実施が可能と解釈できる内容だった。

 一方、北朝鮮による日本人拉致問題を具体的に明記できるかどうかも焦点だったが、拉致問題の明記は北朝鮮の激しい抵抗で、首脳会談一カ月前の日朝局長級協議の時点で断念。宣言では「日朝間に存在する諸問題」「日本国民の生命と安全にかかわる懸案問題」との表現にとどまった。

 日本政府が拉致問題の真相解明を求める条約上の根拠としている「安全保障にかかわる問題について協議を行っていく」との文言は、原案では核、ミサイル問題に限定され、拉致問題の幕引きを狙う北朝鮮の意向に沿ったものとなっていた。
 このため、首脳会談直前になって原案を知らされた複数の外務省幹部が、秘密交渉にこだわる田中氏の手法に疑念を示し、修正を主張。結局、福田長官の指示で竹内次官らが原案の修正作業に関与、宣言案は修正された。
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拉致被害者の蓮池薫さん、祐木子さん夫妻、地村保志さん、富貴恵さん夫妻、曽我ひとみさんの5名が日本に帰還。  

産経抄 平成 18(2006) 年 5 月 18 日 [ 木 ]

 韓国の盧武鉉政権とはなんというバチ当たりなのだろう。北朝鮮に拉致された日本と韓国の被害者家族がはじめて対面したというのにしかめっ面の迷惑顔だった。北朝鮮に気兼ねして、将軍様の顔色ばかりうかがう。

▼ 統一相は横田めぐみさんの父親、滋さんの訪韓について、「面会する必要性はない」「北朝鮮の体面を傷つけるやり方はしない」のだそうだ。なんというつれなさか。気兼ねする相手が、拉致と麻薬と偽札づくりの得意な独裁者であることを忘れるな。

▼ 為政者の心理をパズルのように解けばこうなる。盧政権は「反日」と「反小泉」で票を稼いでいる。その小泉首相が一部とはいえ、拉致事件の被害者を二度の訪朝で連れ帰った。結果として、小泉首相の支援につながると「反日」の看板が泣く。

▼ 韓国の地方選挙は今月末に迫っている。盧さん率いるウリ党の劣勢が伝えられて、もっと「反日エネルギー」の給油がほしいとでも考えていたか。国家や個人よりも政権の維持が大事だなんて、つまらぬ政治である。きっと、韓国の有権者が適切に判断するだろう。

▼ 日本にも同じ政治家がいた。富士山丸の紅粉船長らを救うためと金丸信、田辺誠両議員が平壌に行き、金日成主席に土下座した。主席に長寿無窮を祈念した土井たか子という議員もいた。日本の海岸で若い男女が連れ去られ、欧州留学中の日本女性が拉致されても、彼らは何もいわなかった。

▼ 金大中前大統領を来月訪朝させ、南北融和を演出するのも結構だ。日本で韓国民団と朝鮮総連が和解するのも勝手である。しかし、北の暴力的な犯罪に、いまも泣く人々に手を差し伸べずに何の政治なのか。北にむしり取られるだけで終わらないことを祈るばかりだ。
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見る13

◇北朝鮮に対する制裁の主な内容◇  

【実施済みの措置】
・貨客船「万景峰号」の半年間入港禁止
・北朝鮮当局職員の入国の原則禁止

【今回の措置】
・15団体・1個人を指定して金融制裁
(国内口座からの預金引き出し・海外送金禁止など)

【今後の検討課題】
・万景峰号以外にも入港禁止を拡大
・資金洗浄防止に自民党が金融制裁特措法を検討

  ■北朝鮮に対する金融制裁の対象15団体・1個人は次の通り
  団体
(1)コハス・AG
(2)コリア・インターナショナル・ケミカル・ジョイント・ベンチャー・カンパニー
(3)コリア・クァンソン・トレーディング・コーポレーション
(4)コリア・コンプレックス・エクイップメント・インポート・コーポレーション
(5)コリア・トンヘ・シッピング・カンパニー
(6)コリア・プガン・トレーディング・コーポレーション
(7)コリア・マイニング・デベロップメント・トレーディング・コーポレーション
(8)コリア・リョンハ・マシナリー・ジョイント・ベンチャー・コーポレーション
(9)コリア・リョンボン・ジェネラル・コーポレーション
(10)コリア・リョンワン・トレーディング・コーポレーション
(11)タンチョン・コマーシャル・バンク
(12)トソン・テクノロジー・トレーディング・コーポレーション
(13)ピョンヤン・インフォマティックス・センター
(14)ヘソン・トレーディング・コーポレーション
(15)?

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